多様性とか言いながら、少しでも異議を唱えるとみなでバッシングという不寛容。
正直者より、心にもない美辞麗句を述べる者たちが大きな顔。
その典型例を、先の東京五輪で見た。
元首相でもあった責任者は、決して性差別論者ではなかったのに。
思っていることを、ざっくばらんに口にしただけだったのに。
辞任させられ、五輪も無事終了してから、
性差別論者の濡れ衣を着せるために、
意図的とも取れるがごとくに省略されていた一部始終が明らかにされる。
五輪の実現、成功のため、病気の身体に鞭打って
頑張ってきた苦労は、どこかのトンビにさらっていかれ、
詫びも感謝もされないままだ。
わが国に伝わる童話童謡の世界では、正直者や頑張った人は
途中何かで、バカにされたり、酷い目にあったりしたとしても、
最後に笑うことになっていたけれど。
男らしさ、女らしさ、などとは迂闊に言えない。
日本男児、なんてのも禁句だろうか。
だがなぜか「なでしこジャパン」は持てはやされる。
「民族の多様性」「持続可能性」など、言葉は踊る。
だけど大和魂は、早晩絶滅するのだろう。
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