TUNES FULL

人より少々二酸化炭素の排出を抑制するなど、

地球にやさしい暮らしをしているつもりでも

人間は地球上の何かを犠牲にしなければ生きていけない。


その犠牲を少なくする努力は当然必要だとして、

自分が自分の勝手な思い込みでやっていることが絶対だ、などと自惚れて

それを他人や他国、他の文化圏に押しつけるのは、いかがなものか。


「再生可能」「持続可能」などなど

ありがたそうな言葉が妙に広まり始めたけれど、

最初に言い出した人々の猿まねを強制されているような感がなきにしもあらず。

各自が各自の良心に従い、自分のできる何かをやればいいと思うのだけれど。


昔の日本人は家を建てるとき、木を植えたという。

やがて建て替えの時期が来たら、

その植えた木から木材が取れる。


SGDsなどというおかしな横文字に惑わされる遙か以前に

日本人はこういうことをやってきた。


それほど二酸化炭素が憎ければ、汝の息を止めるべし。

地球に負荷を与えたくなければ人間は死ぬしかない。

それが究極のエコだろうけど、いったい誰にそれができる。


何かを犠牲にせねば生きていけない、ということを素直に受け止め

その上で、無力な自分に何ができるか。答えはさまざまであるはずだ。

なのに「モデル」にぴったりはまらねば、テロリストのような扱いを受ける。


宗教の押しつけは、信教の自由を脅かす。

普遍的価値を共有する国々では当たり前のはずなのだが。

「自由が戻るように」の前に鳴っている音色は、

ソフトウエア音源ですが、どこかの国の楽器の二胡です

戦争に負けて無条件降伏。

しかし、優秀で勤勉な大先輩方のおかげで

多くの国民が無条件に幸福が享受できるほどに

豊かで安全な国になれました。


歴史的な蓄積の賜物であり、世界に誇りうる伝統文化や生活習慣も、

戦前生まれの方々のお蔭で、敗戦後も廃れずにすみました。


なのに、それら日本の強み、美風が

いつの間にか、何者かのせいもあり

お荷物のように扱われるようになって

もはや風前の灯のような状態ではないでしょうか。


歌詞にある「愛した人 抜け殻になり」は

国を愛した人は、もう抜け殻にしかなるしかない、と思えるほど

売国的な人々が増殖する

今の時代の、今の日本を嘆いての一節です。


愛国にBを付けたら売国に

Bは何の頭文字

今になって、実在していたか否かの議論もあるが、

聖徳太子は偉かった。


国力のはるかに勝る随への使節に

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を持たせた。

何と堂々たる態度。

使節の目的は、文化や制度の進んだ随の教えを請うため、というのに

物怖じのなさには恐れ入る。


それが今は、どうしたことか。

日本の技術支援やODAがあってこそ経済大国になり得た中国に

遠慮ばかりで、やられっぱなし。


NOをはっきり言わないから、ますますもって、なめられる。

それと軍備。


自衛権の解釈を、可能な限り拡大すべし。

それにはもちろん、予算も必要。


多様性とか言いながら、少しでも異議を唱えるとみなでバッシングという不寛容。

正直者より、心にもない美辞麗句を述べる者たちが大きな顔。

その典型例を、先の東京五輪で見た。


元首相でもあった責任者は、決して性差別論者ではなかったのに。

思っていることを、ざっくばらんに口にしただけだったのに。


辞任させられ、五輪も無事終了してから、

性差別論者の濡れ衣を着せるために、

意図的とも取れるがごとくに省略されていた一部始終が明らかにされる。

五輪の実現、成功のため、病気の身体に鞭打って

頑張ってきた苦労は、どこかのトンビにさらっていかれ、

詫びも感謝もされないままだ。


わが国に伝わる童話童謡の世界では、正直者や頑張った人は

途中何かで、バカにされたり、酷い目にあったりしたとしても、

最後に笑うことになっていたけれど。


男らしさ、女らしさ、などとは迂闊に言えない。

日本男児、なんてのも禁句だろうか。

だがなぜか「なでしこジャパン」は持てはやされる。


「民族の多様性」「持続可能性」など、言葉は踊る。

だけど大和魂は、早晩絶滅するのだろう。

年配の人間にすれば、今の世の中、すっかり逆だ。


二昔や三昔前なら、うかつに

「人の役に立ちたい」「社会のために働きたい」

なんて言おうものなら、

「お前、本当に思っているのか」「嘘つけ」

などと、非難、罵声を浴びせられたものだ。


何をするにも、まず自分のため

それが原則ではないか。

生きていくのに金がいる。だから働く。

人よりも金持ちになりたい。だから自分のできる何らかの世界で有名になる。


ところが今は、

「人に感動を与えたい」なんて言葉を

耳にタコができるくらいに聞かされてしまう。


企業なんかも、世のため、人のため、地球のためなんて平気で言うし、

それを言わなければイメージが下がる、かのような風潮。

本当にそうか。

基本的には私企業はどれも「営利企業」のはずではないか。


世の中バラ色スローガン、

道行く人は、みな善人で正義の味方。


ところが、そういう時代のはずが、

些細なことで炎上し、イジメはエスカレートするばかり。


正義や理想を説かれると、真正面から「ノー」とは言えない。

人が生きにくくされている。

みんながみんな、真綿で自分たちの首を絞め合って…


そりゃあ、おかしくなるはずだ。


メガソーラーのパネルにも寿命がある。

そのときが来たら、パネルは再生可能だろうか?


寿命が来るまででも、設置した土地に負荷を与え、

土砂災害の種を播く危険性も、決して少なくないようだ。


パネルの多くは中国で、

二酸化炭素を垂れ流しながら製造されていると聞く。


さらに言えば、日本国内で操業するメガソーラーの事業会社も、

中国がらみが多いらしい。


挙げればキリがないのだが、

きれい事、理想論の類には、

必ず裏があると見るべきだろう。


それにしても、「ブーム」のごとく急速に

世界を席巻した「脱炭素」というキーワード。

君子は豹変するらしいが、

思慮の浅い方々も、やはり豹変するかもしれない。


脱炭素を叫ぶより先に思うべきことが

たくさんあるような気がしてならない。


売名と視聴率が目当ての

噛みつき亀のようなコメンテーターに怒りを煽られ、

またその一方、自分の頭で分からないことは

温厚そうな老解説マシーンの話に頷き一件落着


世の善悪の裏の裏まで分かった気になり

心のバランス、うまく取ってるつもりだけれど

テレビという画一思考の洞穴に一度入れば出られない


コメンテーターも解説マシーンも

自分の思い、自分のお金で、

リスク背負ってやってるわけであるはずもなく

所詮、彼らも操り人形


そういう私もお金があれば

彼ら使ってやりたい放題

世論操作をしてやるのだが…


歌は、曲付き詩集『無条件幸福駅から愛国駅へ』収録の

「ころなかうた」抜粋です

曲付き詩集『無条件幸福駅から愛国駅へ』に収録した歌の中でも

いちばんお聴きいただきたいのが、

I saw him crying thereです。


往年の洋楽ファンならピンとくるかもしれません。

このタイトル、ビートルズの隠れた名曲で、

解散後にジョンレノンが、エルトンジョンと共演したこともある

”I saw her standing there”のパロディです。


歌詞は日本語。冒頭を紹介しますと


  みんなの大好きなあの人が

  今日もまた人を責めていた

  けしからんね と説明責任を求めながら

  喜色満面 ニンマリと笑みを浮かべていた


リベラル先生方のお顔が、

星の数ほど思い浮かびませんでしょうか。