凡人にTwitterは似合わない

1週間か10日前、いや、もう半月前になるだろうか、

本や音楽を売りたくて、Twitterを再開した。


これまでTwitterは少なくとも5回はやめているが

ある若い人から、「拡散力はやはりTwitterでしょ」と聞き、

それを鵜呑みにしたからで、

私には6回目以上となるTwitterだった。


だった、というのは、それも一昨日やめてしまったからである。


私のような凡人は、

やり始めると、仕事中でも、夜中にふと目覚めたときでも

他人の投稿が気になって、ついタブレットを開いてしまう。


面白そうで、受けていそうな投稿を見ると、

ついその真似をしたくなり、

自分の本心とは少々かけ離れていても、

受け狙いの投稿をしようとしてしまうのだ。


自分をしっかりもっている人なら、

そういうふうに「流される」ことはないのだろう。


だが私など、「本や音楽を売りたい」という初心を忘れ

つい、投稿のための投稿に走ってしまう。


よくよく考えれば、

これまで5回は同じことを繰り返してきたわけだ。


同じ過ちを何度も繰り返すのはよくないなあ。


無条件幸福駅から愛国駅へ

多様性、持続可能、脱炭素… ポリコレに振り回されると、誰かが笑う