昭和人間の自分などは
「たばこは心の日曜日」「贈り物にはたばこを」
など、たばこに市民権のあった時代の宣伝文句が
いまだ記憶に染み付いている。
そして、その染みの付いた記憶を、
いつでも引っ張り出すことができる。
「たばこは市内で買いましょう」というのもあった。
たばこは税収に貢献してくれている、という
市民の味方としての「たばこ礼賛」が
このスローガンの根底にあったわけだ。
あれから時は流れ…
令和の今は、喫煙者がめっきり減った。
そりゃあ、そうだろう。
たばこほど悪いものはない、みたいな風潮がある。
喫煙者はまるで、テロリストを見るような目で見られるのだ。
こういうたばこに向けられる視線と同様、
なぜか今は、絶対善と絶対悪の二分法が盛んである。
ひとたび「脱炭素」なんてことが叫ばれると、
二酸化炭素が超凶悪玉視され、
わかったようでわからない「再生可能エネルギー」とやらが
温暖化に蝕まれる末法の世の、救世主であるがごとくにありがたがられる。
ここでは二酸化炭素が、反地球環境テロリストのようなレッテルを
貼られているというわけだ。
それにしても奇妙な世の中になってきた。
夫婦別姓に賛成する人は普通の人で、反対する人はテロリスト。
いや、これくらいはまだいい方で、
同性婚を認める人は普通の人で、認めない人はテロリスト。
大きな声では言えないが
こういう風潮がエスカレートすると
テロリストならぬ普通の人が人類を滅ぼすという
世にも不思議な事態に陥りそうな気がするのだが、
そう思う理由は、普通の人の目が恐くて、とても書けない。
0コメント