トランプ元大統領を讃える発言をすると分が悪いようだ。
良識派を自負する著名人は、判で押したように
トランプ元大統領を、
いやトランプ氏が大統領であったころから
いやいや、いやトランプ氏が
大統領候補に名乗り出たころから
悪者呼ばわりする傾向にあったよう。
まるで、良識を試すための踏み絵としてのトランプ氏である。
私など、金も名もない土民であるので、
「トランプ氏をどう思うか」なんて
インタビューされることなど、ありえもしない。
そういう淋しい状況下において、私は家の中で
大統領の地位にあったころからトランプ氏のことを
敬愛の情をこめて「トラちゃん」と呼んできた。
だって愛嬌あるし、ギャグが上手い。
口が裂けても金正恩のことを「チビでデブ」とは呼ばない、なんて
日本の政治家やおつむピカピカの高学歴芸人では、
口が裂けても言えないし
脳みそ裂けても思いつかないような最高のギャグだ。
しかし、そんな些末なこと以上に、
トランプ氏のことを凄いと思うのは、
まったく未知であった政治の世界に70歳をこえて進出し、
前政権の失政をカバーするがごとくの政策を
どんどんと前に推し進めたことである。
やはり一目置くべきは「政治のプロ」ではなかったということであろう。
普通のアメリカ国民として、我慢ならぬことを
次々と改善しようと、自ら行動を起こしたのである。
跡を継いだバイデン氏は、超悪い意味での
まったくその逆の政治屋である。
若いころから政治家としては比較的気楽な立場にある上院議員。
理想論に殉じればいい。
だから大統領選に出馬のころも、大統領になって以降も、
誰もが賛成しやすそうな優等生的考えを
つまみ食いしたようなことしか言わない。
これなんて、いかにも政治屋が得意としそうな手練手管。
何としてでも「国をこういう方向にもっていきたい」
なんて思いは、これっぽっちもなかろうし、
変に信念をもったりすると命取り、だと心するのは
政治屋ならではの、生活の知恵と言えようか。
政治も職業とするならば、
自分自身が「無事これ名馬」で長続きするには、
どうあるべきかが重要なのだ。
「世のため人のために、何をすべきか」ではなくて、
やる気がなくても、やる気があるよう見せかけて
「票を失わないために、何を言うべきか」が最重要。
理念を貫き討ち死にしては、
飯の食い上げ、元も子もなし。
このたびのプーチン禍においても、
絵に描いた餅のような民主社会の理想を掲げ、
「厳しく非難する」では、敵が動くはずもなし。
トランプ元大統領が、それを横目で睨みおっしゃる通り、
直接会って「ディール」(取引)するのが、
現実社会の損失を食い止める最良の方策だと思えてならない。
理想を並べて「けしからん」と非難、批判を繰り返す。
百歩譲って、政敵についてはそれもやむなしかもしれないが、
世界平和をぶち壊す者にもその態度なら、
いかに職業政治屋としても
怠慢、責任逃れの誹りは免れまい。
日本のリベラル先生も、同じ路線を歩まれているように見受けるが、
それがどれだけ、市民生活や民主社会のためになるか
いい加減、頭を冷やして考えられたし。
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