ある大物フォーク歌手が新聞のインタビューで語っていた。
昔のラジオのディレクターは、
時間を作ってはアマチュアのコンサートに足を運び、
面白い新人はいないか、こまめにチェックしていたと。
いいアマチュアがいれば、自分の番組で取り上げ、
レコードデビューの機会をつくり、いずれは大物に…
「才能は陽の目を浴びるべきだ」という応援心と
自分の眼力を試したい、という自己実現的な願いを込めて
寸暇を惜しんだ、というわけだ。
それに引き換え、今のメディアを作る側の人々は、
すでに「売れている新人」「売れかかっている新人」にしか興味を示さない、
のだそうだ。
さて、今は「楽しんで仕事をする」みたいな言い方が流行りのようだ。
典型はアスリートか。
オリンピックを楽しみたい、楽しんで「勝ち」を取りにいきたい
みたいな話は耳にタコができるほど聞かされている。
話を戻すと、ラジオのデレクターがいたとして、
今売り出し中の歌手を、番組に呼んで、話をさせるということも、
素人リスナーからすれば、羨ましい限りの話だろうし、
たぶん本人も「楽しんで仕事をしている」のかもしれない。
だが、昔のディレクターのように自分で才能を発掘する、という方が、
格段に楽しいのではないか、と思うのだ。
組織では管理下が進み、短いスパンで成果が問われる。
それに加えて、四六時中至るところで、週刊誌やネット市民の目が光っている。
失敗や冒険が許されにくくなる一方の時代の中で、
自分の眼力だけで才能を発掘する、など夢のまた夢かもしれない。
すると、本来はそれぞれの世界のプロが備えるべきだった
眼力を養う機会も、当然なくなる。
「楽しんで」が頻繁に口にされるのとは裏腹に、
失敗を恐れ、楽しみのスケールが小さくなる。
ビッグデータやAIが持てはやされるのは、
眼力の育ちにくくなってしまった時代の仇花だろうか。
そういう中で、夏季、冬季と続けさまに開催されたオリンピックで
スケートボード、スノーボードの若い日本人選手の大活躍は異彩を放った。
世の大人たちの管理の手の及ばない世界、というか
大人たちが、そういう存在さえ知らなかったような世界で、
意志をもち、技を磨いた選手たちが栄冠を手にした。
私がテレビで聞く限り、記憶の限りではあるが、
そういう選手に限って「楽しんで」とは口にしなかったような気がする。
「楽しんで」という決まり文句。
著名アスリートならば、
インタビュアーに「思い」を語ることをせかされる、
という現代メディア事情のせいかもしれない。
その一方で、自分の心の中の正直で素直な思いと向き合い
それにふさわしい言葉を探ることが、疎かになりはしまいか。
いや、今の人たちはもっと賢く、
正直な思いを探り、口にすることは、
失言から炎上という、身の破滅へのお決まりコースであることを
十二分に心しているからだろうか。
インタビューの冒頭で、まだ話も始まっていないのに、
「そうですね」と相槌のような言葉が当たり前になってきたのも、
失言を避けるため、言葉選びの時間を稼ごうとして、のことかもしれない。
いずれにしても、自分の心を表す的確な表現を探る
という行為から、次第に遠ざかることとなる。
その結果、ますます決まり文句が溢れるという悪循環…
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