フェイク放題、写真の日々

今年は例年になく、桜の写真をよく撮った。


撮りに出かけた頻度もさることながら、

枚数の多さ、つまりシャッターを押した回数もただならぬ。


ひとえに写真がフィルムからデジタルに変わって以来の悪弊だが、

・感材費がかからない

・専門家に頼らなくても、自分でいくらでも修正がきく

ということで、

「絶対にこのアングル、この瞬間」という緊張感が薄れ、

適当にバチバチ撮っていれば、後でなんとでもなる、

という横着心の賜物である。


たぶん自分に厳しい人なら、デジタルに変わろうが

1コマ1コマ、変わらぬ緊張感で望むのだろうが、

加齢とともに、ますます自分に甘くなっている私なんぞ

すぐに易きに流れてしまう。


まあ何事も本人の心がけ1つ、ということなのだろうが、

「真を写す」はずの写真においても、誤魔化しがきくのだ。

そろそろ写真そのものの名称変更が必要かもしれない。


下の3枚のうち、いちばん上が元データの縮小版。

その下2枚は、元データを色補正したもの。

無条件幸福駅から愛国駅へ

多様性、持続可能、脱炭素… ポリコレに振り回されると、誰かが笑う