健全な気難しさ、のようなもの

昔の人はみんな、健全な気難しさ、

のようなものを持ち合わせていたような気がしてならない。


些細なように思われることでも、許せないものは許せない。

だからそれをはっきり言う。


だけど、気が悪いからではないから、

一言言って、それが理解されて、気が済めば、

以後は根にもたず、普通に付き合っていく。


それは、言われる相手も、聴く耳をもっていた、というのもあるだろう。

自分の非を指摘されれば、素直に認め、改めることができたのだ。


小さな過ちでも矯めすことは必要だ。

世の中のたいていのことは、たとえ大きなことだって

小さなことの集積でできているから。

無条件幸福駅から愛国駅へ

多様性、持続可能、脱炭素… ポリコレに振り回されると、誰かが笑う