2022.02.25 17:04そんなバカな氷河期には地球上の生き物たちが一生懸命、二酸化炭素の排出量を抑えていたけど、気が緩んで、二酸化炭素をガバガバ垂れ流すようになって間氷期と相成ったのでしょうか。教えて下さい、テレビによく出てくる第二の人生、並ぶものなしの、物知り先生。
2022.02.25 16:40200年後が楽しみ…4日前の2022年2月22日は、日付の数字に2(ニャー)が並び、スーパー猫の日だったそうですが、何の何の、200年後は、もっと凄いことになりそうですニャー。鶴か亀ほど長生きしたいニャー。しかし、そのときまで、日本はもつか。いやいや、東大卒のインテリ芸人帝国にのし上がっているかも。なんのなんの、やはり世も末のクイズ王亡国。(大嫌いなものを2つ挙げてみました)
2022.02.25 14:41テロリストか否か昭和人間の自分などは「たばこは心の日曜日」「贈り物にはたばこを」など、たばこに市民権のあった時代の宣伝文句がいまだ記憶に染み付いている。そして、その染みの付いた記憶を、いつでも引っ張り出すことができる。「たばこは市内で買いましょう」というのもあった。たばこは税収に貢献してくれている、という市民の味方としての「たばこ礼賛」がこのスローガンの根底にあったわけだ。あれから時は流れ…令和の今は、喫煙者がめっきり減った。そりゃあ、そうだろう。たばこほど悪いものはない、みたいな風潮がある。喫煙者はまるで、テロリストを見るような目で見られるのだ。こういうたばこに向けられる視線と同様、なぜか今は、絶対善と絶対悪の二分法が盛んである。ひとたび「脱炭素」なんてことが叫ばれ...
2022.02.23 21:13江戸も令和も、小市民の武器は諧謔精神全国紙の記者2人と飲んでいたとき、「どうして、あのタイミングで、あの情報をオープンにしたのだろう」みたいな話を小耳にはさんだ。たぶんライバル紙の報道について言っているような気配であった。この瞬間、自分は一般の小市民の一読者に過ぎないことを思い知った。メディアのプロはたくさんの情報を握っていて、一般向けに報じられるのは、ほんのごく一部のみなのだ。新聞を精読しただけで世の中を知った気になるのはやめよう。ネットの情報だけで、事件の裏側を知った気になるのも間違いの元。当たり前といえば当たり前のことを「心した」わけだが、それでは、情報をもたない小市民は、何を信じればいいのだろう。となると、もう嗅覚しかない。たとえば自分は函館に移住して、ある人と知り合いになった。...
2022.02.23 19:37暗黙の共通の敵を叩くリベラルよりも保守の方が品があると思ってきた。今日的リベラルの発祥は、敗戦後のどさくさによる幼年教育の乱れと、敗戦以降に染み付いた、敗戦国民としての、そしてわが国に特有の自虐志向ってやつが大きいのだろう。その上に、政府与党や資本家、果ては母なる国を叩けばカネになるということに味をしめた大新聞のミスリードが加わり、普通であることが普通でない国の地歩を固めた。それにまた、なおも輪をかけるがごとく、誰もが自由にモノの言えるネット環境の整備がリベラル的なるものを助長してきた。もはや日本や日本人の美風は、致命的な状況とも言える。憲兵の飛んで来た戦前と違い、政府与党、お役所、大企業ほか、力をもつ者たちほど、文句の言いやすい相手はいない。「弱き者」に対し、赤子の手を...
2022.02.23 00:40凡人にTwitterは似合わない1週間か10日前、いや、もう半月前になるだろうか、本や音楽を売りたくて、Twitterを再開した。これまでTwitterは少なくとも5回はやめているがある若い人から、「拡散力はやはりTwitterでしょ」と聞き、それを鵜呑みにしたからで、私には6回目以上となるTwitterだった。だった、というのは、それも一昨日やめてしまったからである。私のような凡人は、やり始めると、仕事中でも、夜中にふと目覚めたときでも他人の投稿が気になって、ついタブレットを開いてしまう。面白そうで、受けていそうな投稿を見ると、ついその真似をしたくなり、自分の本心とは少々かけ離れていても、受け狙いの投稿をしようとしてしまうのだ。自分をしっかりもっている人なら、そういうふうに「流され...
2022.02.22 00:21情報の消化不良の行く末は情報が少ないと、たとえ「自分なり」にでも、1つ1つを精査できると思うのだけれど、たくさんありすぎるとどうなるか。これはあくまでも自分自身のことだけれど、情報がたくさんだと、逐一精査するのが面倒になり、ついつい世間の大多数の流れる方向に流されそうになってしまう。万一これが、私だけでないのなら、世間の大多数がさらなる大多数になって誰にも制止できなくなるのではないかという恐怖…
2022.02.21 02:56右や左の旦那様ネットでみんな評論家だけど、どれだけ事情を詳しく知っているのだろう。思ったことを自由に述べる。いわゆる「民主的価値観を共有する国」にいることの幸せではある。だけど、人の批判ばかり、といのもどうか。俗にいうリベラルな人々は政府与党、あるいは伝統的価値観を、批判しけなすことを仕事としている感はある。批判のための批判はどうかと思うのだがそれに立ち向かう保守派の中にも、世のため、人のため、歴史ある日本の伝統や文化、考え方を守るためというよりはリベラルを攻撃して悦に入るためみたいな人がいるように思う。みんな自分がかわいくて自分が他人に優越した存在でありたいと願って当然。またそれが自分を磨く原動力になると思うのだけれど、今のネット社会で、いいね!など、他人の評価が...